2006年10月3日

こういうことは重なるもので、
今度は天下の日本放送協会から、出演依頼。
平日の夕方、毎日やってる
5日放映の「ゆうどきネットワーク」という番組です。
ビーパルと違って、きれいな女性リポーターが、
一人で打ち合わせに来ました。
善福寺公園の鳥と、私の仕事振りをとりあげたいとの事。
同じテーマで、何度もテレビに出たことがあるのですが
ひとつ違う切り口でやりましょう、という事になりました。

撮影日が決まったので、一応下見に行きました。
おかげで、公園初記録の鳥ムギマキをちらっと、
そしてビロードハマキをじっくりと、見ることができました。
もちろん蛾です。
前翅の長さ2センチ程の派手な奴で、小型で地味なハマキガ科では、
異色かつ最大、かっては関東地方では非常に稀な蛾でした。
幼虫はカシの葉を食うので、何処にでもいそうなものですが
温度条件が合わなかったのでしょうか。
蛾博士のうーちゃんから、目黒の自然教育園に居ると聞いていたので
その内に、と思っていたら,やっぱり来てたのね。
思っていたよりずっと赤みの強い、きれいな蛾でした。
今後、ツマグロヒョウモンのように普通種に成り下がっていくのでしょうか?

撮影のほうは無事済みました。
もしかして出番があるかと待機をお願いした
某支部長には申し訳ないことでしたが…

月刊誌、テレビと、続いてとりあげられて、
私もう一つの仕事がばれてしまいました。
別に内緒にしているわけではなかったのですが、
その件については、又の機会に…




                                
2006年9月19日

昔愛読していた、ビーパルというアウトドア雑誌から
取材の依頼がありました。
アウトドア方面で活躍中の人物を紹介する、
「野の人」という5ページのコーナーです。
同じような企画はずっと前からあって、
友人や知り合いが何人もでているので
とうとう来たか、という感じで即お受けしました。
ただ、自分が野の人かしら?という疑問は有りましたが。

早速、エネルギッシュな感じのライターと、誠実そうなカメラマンが、
小学館の担当の方と一緒にいらっしゃいました。
まずはフィールドへご案内ということで、善福寺池に…。
折り良くカワセミがいてくれたので、カメラの前でスケッチなどしてみせたり、
これまた折り良く望遠レンズを構えていた、野鳥の会の某支部長とお話をしたりして、
けっこう楽しく取材がすすみました。

こういう取材は、テレビ、新聞など、幾度もお受けしていますが、
私一人に5ページもさいて下さるなんてもったいないお話ははじめてなので
何をどこまで話せばいいのか、ちょっと不安を持ちながら、
インタヴューを受けていました。
テレビだと、撮影3時間放映1分なんてことがザラで、
しゃべった事のごく一部だけ、放送に都合の良いところだけ
出てくるのですが、
今回は長丁場ですから、一言一句残らず活字になってしまいそうで、
緊張しました。

丸の内さえずり館のタマゴ式教室の取材の時は、
ライター氏にハクセキレイの絵を描いていただきました。
意外?にも、ナイーブな感じの可愛らしいセキレイができて、
本人ご満悦のようで、こちらもほっとしました。
まるっきり初めての人でも、可愛い鳥が描けます、と言うのが
タマゴ式のウリですから。

後日、もう一度フイールドの井草八幡宮と、善福寺池で撮影し、
仕事場での撮影と、インタヴューを受けて、
あしかけ三日間にわたる取材が終りました。

どんな顔に写ってるのか、何をしゃべってるのか、
出来上がりをみるのが怖い感じですが、
もう、まな板の鯉です。

10月10日(発売日)早く来い!





2006年7月11日

下の息子が、高校の野外研究で、北海道富良野の
東大演習林へ夜明け前に出かけていきました。
なんでもクマゲラをテーマにしたのだそうで、
今まで鳥に興味がなさそうにしていたのに、
家中のクマゲラ関係の本を読み漁っていました
親としてはちょっと嬉しくて、色々協力してやりましたが
なにしろ付け焼刃ですから、どうなりますやら…

私がはじめてクマゲラを見たのは1966年3月、
大学1年の時でした。
早稲田の生物同好会の先輩方に連れられて
冬景色の道東を、野鳥を求めて1ヶ月の貧乏旅行でしたが、
本当に楽しい経験でした。
鳥に目覚めて間もない頃に、
珍鳥にいっぱい出会えたこともありますが
なにより高校の大先輩でもあるチカさんはじめ
同行の皆様との朝から晩までの交流が最高でした。
その後に、私が鳥の道へ進むことになった、
きっかけを作ってくれた旅でもあったのです。

凍りついた阿寒の森で、チカさんのプロミナで覗かせて貰った
遥かかなたのクマゲラの姿は、いまも鮮明に思い出せます。
ほんの小さくしか見えなかったのに、
金色の目がギラギラしていましたっけ。
「これがクマゲラなんだ」。印象は強烈でした。

数日後、今度は川湯の森で、再会しました。
しかも至近距離で…
タカダマ先輩にくっついて
雪に覆われた森を歩き回っていたときです。
大きな声と共に頭上をクマゲラが飛び過ぎたのです。
はるか前方の樹幹に止まるのを見届けて
二人はダッシュしました。
雪に足をとられてモタモタしているうちに
次の樹に移ってしまい、またダッシュ。
そんなことを繰り返して、ヘトヘトになった頃
ひときわ大きな樹に止まったクマゲラに追いつきました。
本当にすぐそば…頭上3メートルほどにいる奴を、
じっくり観察出来たのです。
しかも、もう一羽現れて
ネコみたいな声を出してデイスプレイまで見せてくれたのです。
タカダマさんはウイスキーの小ビンを取り出し
水筒のふたに雪を詰めて
オンザスノーで祝杯をあげました。
興奮状態から覚めかけたところで
耳が冷たいのに気が付きました。
雪の中を駆けずり回っているうちに、
正ちゃん帽を落としてしまったのでした。
とうとう見つからずじまいでしたが、
クマゲラが見られたのですから、どうでもいいやという気持ちでした。
春になってから、ハシブトガラやコガラたちが
毛糸をほぐして巣作りに使ってくれたに違いないと思います。

卒業後に北海道に渡り
根室でナチュラリスト兼民宿おやじとなったタカダマさんによると、
あの時ほど沢山のクマゲラが見られたことはなかったそうです。
千載一遇のチャンスだったのでしょうか。

最近、あのときのメンバー達が
旅行中に所感を共同で書きつづった「赤いノート」が
佐渡島のチカさんのお家で発見されました。
ウミガラサ先輩が全員分のコピーを作って送ってくださいました。
開いてみたら40年前の自分がそこにいて、
恥ずかしくなってすぐ閉じてしまい、
その後開く勇気が無いまま、日がたってしまいました。
次男のクマゲラ研究を機に、もう一度赤いノートに
挑戦してみようかと思います。


2006年6月25日


以前、アオバズクのジグレ版画のことを書いたら
「何だそれは」と聞かれてしまいました。
簡単に言えばコンピュータ化されたシルクスクリーン版画のことです。
職人の技で何十もの色の数だけ版を作る、
一番かんじんかつ大変な作業をコンピュータがするので、
原画に忠実な版画がより早くできるのです。
勿論、その過程では熟達した刷り師さんの力が必要です。
縁あって高名な刷り師さんに制作していただけるので、
私の絵も原画と見分けがつかないほどです。
印刷ではないので、網点がみえませんから
本当にどちらが原画か分からなくなったこともありました。
その時は修正のホワイトの有無が識別ポイントです。

フクロウシリーズ、音楽シリーズと
たくさんのジグレ版画を作っていただきましたが
どれもけっこう楽しんで描けました。
「紅い鳥の円舞曲」という作品では
バードウオッチャーが一番見てみたい鳥の光景を
絵で実現させてやろう、という下心があって、
冬の人気者紅い鳥たちを、集合させることにしました。
現実にはあり得ないかもしれないけれど、
まんざら絵空事とは言い切れない…
と言うセンを狙って、まず場面を冬の北海道に設定しました。
紅い鳥全部出したいけれど、アカマシコは可能性が無いので除きました。
配置を色々悩んだ結果、クリスマスリースみたいに輪にしました。
枝はハンノキにはじめから決めていました。
善福寺池でスケッチできるからです。
9種類描きましたが、まだ見ていないのが1種あって
ちょっと悔しい気持ちが入っています。

次の「黄色い鳥の奏鳴曲」でも
春の渡りシーズンの本州の低山と言うことで
なさそでありそで、の線を守りましたが、
「青い鳥の協奏曲」では、ついに陥落してしまいました。
場所も季節もバラバラでどうしようありませんでした。

つぎは何色にしようかな。
お楽しみに…

尚、どんな絵か見たいお方は、リンクから
日本野鳥の会バードプラザショップのインターネットショップを
覗いてみてください。
商品グループ一覧のイラスト、ポスター、絵画の中にあります。




2006年6月某日 タマシギ♀からのレポート

「僕には図鑑の仕事がある!」「おばあちゃんとグッピーに
エサをやんなきゃならない!」など、アレだけ抵抗しつつ
夫婦で唯一ケンカをしない場、カラオケボックスに行って…
何故か!?画伯、余裕の90点越え連発。ついに「山小屋の灯」で
99点を打ち出し、これ以上ないくらい鼻の穴全開だったタマシギ♂
あんまり嬉しそうなんで、証拠のお写真でございます。
ちぇ





2006年6月3日…から打ち始めて終ったのは13日

タイから北海道に鳥見に来ていた鳥類画家、カモンさん一行が、
東京に戻っていらしたので、バードライフアジアの皆さんと
かってあちらでお世話になった人たちが集まって、
新宿の居酒屋で歓迎会を開きました。

彼はタイの鳥類図鑑の絵を描いた方で、私もかってバンコクのお宅に
駐在の方のご紹介で、家族揃ってお邪魔したことがあります。
せっかくなので、その折にお土産に頂いたテイーシャツを着ていきました。
カオヤイ国立公園の華麗な鳥達が描かれた派手なもので、
ちょっと外へ着て出るには勇気がいるのですが、
そのぶんカモンさん夫妻には喜んでいただけたようです。

カモンさんは、細身で鳥のような精悍な印象の方ですが
本当は穏やかで、親切なお人柄です。
タイの鳥については、右に出るものがないほど詳しくていらっしゃいます。
絵のしごとに加えて、バードウオッチングツアー会社の社長さんでもあります。
鳥類図鑑の絵を描いているせいか、私のことを気に入ってくれていて、
来日のたびにお目にかかっています。

主に当方が言語問題を抱えているもので、
あまり込み入った話はできないのですが
「先月南アフリカから鳥類画家が来て、一緒にスケッチ旅行をして、
大変楽しかった、今度はあんたが来い、鳥ならいくらでも見せてやるよ」
と言う様な事をおっしゃっていたような…

よその国の方にお会いすると、毎度のことながら、
若いときに英会話を習得しておいたら、どんなに良かったろうと思います。
必死に聞き耳を立てていても、話の三割程度しか分からず、
只曖昧にうなずいているだけ…というのは、
かなりかっこ悪い状態だし、非常にくたびれるのです。

それでも、鳥仲間というものはいいもので
なんとなく話が通じてしまうのが不思議です。
カモンさんは、常に葉書大のスケッチブックを携えていて
であった鳥すべてを見事なペン画にのこしています。
それを見せてもらいながら、色々お話を伺うのがたのしみなのですが、
そういうときは、理解度が大幅にアップした気がします。
「気」だけですけど。



2006年6月2日

アオバズクの声を聞きました。

近所の神社の杜から、なつかしい「ホッホー」という声が…
今はハシブトガラスがねぐらにしているので、
時折立ち寄るだけですが、
高校生の頃、とうりに面した二階の勉強部屋から
向いの電柱のてっぺんで鳴いているアオバズクを、
夏の間、毎晩見たものです。
夜中を回った頃、電柱に現れて、左右に頭をめぐらせてから、
こちらに視線を向け、喉の辺りを膨らませて、ホッホーと繰り返し鳴き、
突然飛び立っていなくなる、かわいい奴でした。
この子のお家は、向いの米屋の屋根の向こうに黒々と見える
お宮の杜の、一番高い伝説の黒松でした。
大きな枝が抜け落ちた洞に、昔からアオバズクが住み着いていることは、
中西悟堂の本にも書かれていました。
開け放した窓に、かなたの杜からホッホーのこえが届くと、
あいつ元気でやってるなと、思わず頬がゆるむのでした。
フクロウの仲間に心惹かれるのは、あのアオバズクのせいでしょうか。
夏の間毎晩顔をあわせていたのですから。

いぜん、日本にいるフクロウの仲間の顔を集めたジグレ版画をつくったとき
アオバズクを一番目立つ真ん中に入れてやりたかったのですが、
構図の都合で断念したことをいまも残念に思っています。
もちろん版画のアオバズクはお宮の杜にいたあの子です。
お宮の松は枯れて、アオバズクも姿をけしましたが、
「フクロウの面々」と題したジグレ版画は、今も人気商品で
アオバズクも、あちこちの御宅で愛嬌をふりまいているようです。
どこかで「面々」を見たら、お宮のあの子を思い出してやってくださいね。


2006年5月31日

ヒメギフチョウは、よく似たギフチョウと並んで、「春の女神」などと
称される美しい蝶です。
春、ちょうどサクラの満開の頃にだけ見られ、生息地も限られているので、
おいそれとは出会えません。
この仲間、ルードルフィア属は、原始アゲハと呼ばれる古い系統の蝶で、
東アジアに4種が残存的に生息している、貴重な昆虫です。

さて、ワセダセイブツおじさん蝶撮り隊は、このゴールデンウイークに
珍蝶ヒメギフをターゲットに、長野県某所に遠征を試みました。
いつものアセリ・ダメオ・タニパンのレギュラートリオに、
今回特別ゲストとして、最近ギフチョウを撮ったばかりで意気あがる
のりぴ氏をお招きし、最強の布陣でのぞみました。

前夜アセリ君の素敵な別荘に泊まり、朝、奥様とワンコ達に見送られて出発。
高速道を経て、残雪の残る1900メートルほどの峠を越え、
向こう側へ下った谷間が目的地です。
登っていく途中、あんまり雪が多いので一同無口になってしまいましたが、
谷間には雪がほとんどなく、ちゃんとヒメギフは飛んでいました。

モンシロチョウほどの黒と黄色のタイガース柄
むくむくした毛に覆われた太い胴体が、この蝶の原始性を表していますが、
そこがまたヒメギフの魅力なのです。
早速デジカメを取り出して、思い思いに蝶を追いかけます。
なかなか止まってくれないし、まだ花が何にも咲いていないので、
会心のショットにたどりつけません。のりぴのうめき声がきこえます。

ふと気配を感じて見上げると頭上をちいさな赤い蛾が素早く飛び回っています。
はっとしました。「カバシャクだ!」
ずっと会いたかった蛾だったのです。
早春の山岳地帯でだけ会える、シャクガとヤガという蛾の仲間の
二大勢力それぞれの特徴を併せ持った、原始的な蛾です。
日本にはカバシャクとクロフカバシャクの2種がいるのも、ギフチョウと似ています。
若き日々、カバシャクを求めて早春の山を、ずいぶん歩きましたが、
2,3度遠くでチラッと見かけただけでした。

4人の中で、唯一捕虫網をふりまわしていたダメオ君に捕まえてもらいました。
褐色の前翅の白い斑点と、後翅の大きな赤い模様、
間違いなくカバシャクでした。
うつくしい蛾でした。
ヒメギフチョウと同じように体は毛に覆われています。
早春のまだ殺風景な山で出会った原始的な蝶と蛾。
ライバルのいない時期に、厳しい気候に耐えひっそりと暮すことで、
長く命脈を保ってきたのでしょう。
残念ながらすばしっこすぎて、写真を撮ることは叶いませんでした。
でも、永年の恋人に出会えたことで、じゅうぶん満足でした。

ご同行の皆さん、ありがとうございました。



2006年5月23日のA 

前回えらく忙しそうなことを書いてしまいましたが、
ご存知の方はお分かりでしょう、私、二本立てで仕事をしています。
イラスト業のほうは、趣味のバードウオッチングから横滑りしたので、
1991年に会社を興した時点で、趣味と呼べるモノが無くなってしまいました。
あこがれの鳥を見ても「このポーズはあの本に使えそうだ」とか、「もっと説得力のある
識別法は無いのか」とか、不純なことばかり思い浮かんできて、
鳥見に浸りきれず、ちっとも楽しくないのです。
ふたつの仕事はそれぞれ全く違う分野なので、交互に息抜きにはなるのですが、
やはりストレスをぶっとばす趣味が欲しくなりました。
そこで登場したのが女房と一緒のカラオケボックス通いでした。
二人とも酒が飲めないたちなので、純粋に歌うだけ。
新曲には目もくれず、新しくても30年前の曲だったりするので呆れられています。
しめきりギリギリになると、むしょうに青春時代の歌や、ド演歌を歌いたくなって
猛スピードで描き終えて、チャリンコとばして女子大前のカラオケボックスに夜中の2時まで、
なんて事がしょっちゅうでした。
当時はまだ通信カラオケではなく、レーザーデイスクで
そこは東映レーザーカラオケというのが主流でした。
映画会社が作っているだけあって、ストーリーも一曲ごとによくできてるし、、
映像もとてもきれいなので気に入っていました。
ところが、ここでも歌に浸りきれない事態が…
なまじ映像が良いばかりに、映っている鳥の種類が解ってしまうのです。
演歌の世界では、港とか海が定番ですから、
まずカモメの仲間が出てこないことはありません。
歌いながら画面のカモメが気になって仕方ないのです。
今のはワシカモメだったぞ、とか、こいつ足が黄色いぞ、とか
気がちってたまりません。
その内発想を変えて、鳥が出てきそうな歌を選ぶようになりました。
適当に選んで、どんぴしゃりで鳥が映っていれば最高です。
ピカイチは、細川たかしの「北緯50度」。
北洋で操業する大型漁船のまわりをとりまく数千羽の黒い鳥。
アップの映像もあって、フルマカモメとわかりました。
この鳥はいろんなタイプがあって、黒い中に灰色のや真っ白なのも
チラホラ混じって見えました。船酔いに極端に弱い私には絶対見られない光景です。
フルマ見たさに、この歌を何十回歌ったことでしょう。
ただし歌に身が入ってないのであまり上手くはなりませんでしたが。
レーザーカラオケがほろびた今、もう二度とあの映像をバックに歌えないかと思うと
世の中の進歩というものに疑問を感じずにいられません。



2006年 5月23日の@

お久しぶりです。

常に誰かに占領されて、全然パソコンを触らせてもらえない日々が続き、
ご心配をおかけしました。
やっと一人でパソにむかえる隙ができました。
今度はいつお目にかかれるかわかりませんので何かかっこいい事を
書かねばと思うと、これがまたプレッシャーになって…

今、今後何十年も使われ続けるであろう世界水準の鳥類図鑑を描いています。
我が国を代表するウルサガタのバードウオッチャーが集まって、
俺達の作りたい日本の図鑑を作ろう!を合言葉に、もう二年もわいわいやっています。
何度も繰り返されてきた打ち合わせの会で出てきた裏話だけで、
本が何冊もかけるほどで、皆さんのすごいエネルギーに圧倒されています。
イラストについても参考になることの連続で、
目からウロコが落ちすぎて白内障になってしまったほどです。
目標は国際的に定評のある、英国コリンズ社の「バードガイド」超えです。
掲載種は700をこえ、図のコマ数も、物凄いものになりそうで、
ひとりで描くことを思うと、恐ろしい限りです。
ちまちまと描き続けていれば何時かは終るのでしょうが、
タイムリミットがありますから、のんびりはできません。
時間との競争ですから、ヤクルト戦もワールドカップも見ないつもりです。たぶん…
なのに、図のチェックの段階でなるべくボツを命じられないように
慎重に調べながら描くので、なかなか進まずヂレンマです。
以前に何冊もすばらしい日本のとりの図鑑をお描きになった高野さんも、
すごい図鑑を計画され、お描きになりつつあった薮内さんも
還暦で亡くなられました。
わたしはそれほどの大人物ではないので大丈夫でしょうが、
気にはしています。なんたって59歳なもんで…タイムリミットが…




2004年暮れからまだ打ち終わっていないけれど…

ラジオをぼんやり聴いていたら、「タイマグラばあちゃんとはなにか?」
という番組が始ったので、ビックリ
タイマグラというのは岩手県早池峰山の東麓の小さな小さな村の名で
日本で最後に電灯が灯ったと言う、過疎の代表のようなところだ。
なぜそんな地名を知っているかと言うと、勿論行ったことがあるからだ。
今は昔、ワクワクの結婚式の一週間前に、タマシギコンビは夜行日帰りで
伊良湖崎にタカの渡りを見に行った。その時豊橋の駅からタクシーに相乗りしたのが、
当時、槍ヶ岳で山小屋番をしていたフナムシ君で、あとで新婚所帯のはじめての
お客さんにもなってくれた。
数年後、彼は山を降りて自身の山小屋を持つべく、日本中を探し回った結果、
タイマグラに空き家の農家をかりて、民宿をはじめることになった。
彼は私の大学の先輩である、
根室在住のナチュラリスト作家兼民宿のオヤジに憧れていたので
自分の所にも、バードウオッチャーの聖地、根室のf荘の様に
壁に大きな鳥の絵がほしいと言ってきた。
根室のはオオワシだからこちらはそこらを飛んでるクマタカにしようと言う。
面白そうだから、夏休みに長男を連れて出かけてきた。
タマシギ♀は、乳飲み子の次男とお留守番。
東北新幹線で盛岡へ、山田線に乗り換えて陸中川井駅下車。
待ち構えていたフナムシくんのお車で25キロ走ってやっとタイマグラに到着。
書いてみれば簡単そうだけど、3歳児を連れての長旅におとっつあんはくたびれた。


薬師川の美しい渓流を見下ろす土手の上に、長年の風雪に耐えてきましたといった風情で
フナムシ家は建っていた。
戦後すぐに建てられた古い開拓農家で、屋根の上にこわれた風力発電装置が乗っているのがおもしろい。
まだ正式には民宿開業していないので、あちこち工事中だ。
フナムシの弟で学生のオケマサ君が手伝いに来ていて、
気の毒にも新設するトイレの穴掘りをさせられていた。
外の風呂場にもまだ屋根がのっていない。
ただ台所の巨大な冷蔵庫が、民宿開業にかけるフナムシくんの心意気を表わしていた。
いろいろ見物しているうちに、足を引きずりながら隣のばあちゃんがやってきた。
隣といっても山のずっと上なのだが。
彼女は絵に描いたような田舎の農家の小母さんで、
姉さんかぶりが、新潟の山奥に住んでいた遠い親戚のおばちゃんを思い出させて懐かしい。
日に焼けたふっくらした顔にぞうさんみたいな細い優しい目、
働き者のしっかりした手のひらで、長男の頭をなでて、
「めんこいわらすだあ」と言ってくれた。
この人こそタイマグラバアチャンで、フナムシくんが来るまでは
ジイチャンとたった2人でタイマグラを守っていたのだ。
「うちにもよってくれ」といわれたので、お土産持って挨拶に出向いた。
フナムシくんが「大きな木のような人」と尊敬する、ジイチャンにもお会いすることができた。
がっしりした体格の、穏やかな方だった。
ここでも長男は人気者で、お二人からたっぷり可愛がっていただいた。
その晩は、久しぶりに蚊帳の中で寝た。


翌朝、長男をフナムシくんにまかせて、一人壁にむかってクマタカを描く。
広い座敷のそこだけま新しいベニヤ板のかべだ。
藪内画伯のオオワシは、同じベニヤに黒マジックと白チョークで
まるで色がついてるように描いたのだそうだが、
こちらはそれほどの名人ではないので、パステルで総天然色だ。
フナムシご要望の、実物大の、翼を広げて飛び立った姿を
2時間半かけてなんとか完成し、「はげるなよ」と呼びかけながら
定着液フキサチーフを空になるまでたっぷり吹き付けてやった。
のちにこのクマタカは地元の評判になって、
麓の村から見物人が押し寄せたそうな。と言ってものべ十数人だが。
くたびれて座敷で寝転がっていたら
フナムシくんと長男がバケツにまだ元気にバタバタしているヤマメをいっぱい入れて帰ってきた。
釣ったのかと目を丸くしたら、なんだすぐ麓の養魚場から買ってきたんだと。
嗚呼、あの頃の長男はなんて可愛かったのだろう。
しばらくして「オサカナサン、トマッチャッタヨ」と、心配顔で
走って知らせに来たときには、フナムシと顔を見合わせて大笑いしたものだ。
ばんごはんは豪勢だった。
とまっちゃったヤマメの塩焼きはじめ
フナムシ風手つくりソーセージやら採れたての野菜料理やら
どれも超が付くほど美味しかった。
それもそのはず、彼は槍ヶ岳山荘の料理長を任されていたのだから。


帰る日、お別れのあいさつにバアチャン達に逢いにいった。
なんだか、去りがたい気持ちがした。


それから何月も経たないうちにジイチャンは亡くなった。
最後にトイレを済ませ、「おらはここらで、しまいにすべい」
と言ってバアチャンに看取られて旅たったのだ。
その後テレビでバアチャンを主人公にしたドキュメンタリーが放送された
山奥でたった一人で生きる姿を、淡々と描いて、なかなかの力作だった。
関西の実家に帰る時、いつも寄ってくれたフナムシが教えてくれたので
長男にも見せたが、バアチャンのことはもう覚えていないらしかった。


今タイマグラにも、どこにも、 バアチャンはいない。
ジイチャンの所に行ってしまったのだ。
そのかわり、結婚したフナムシ一家の人口が増え、
弟のオケマサくんや、関西のご両親も移り住み、
あのドキュメンタリーのデイレクターはじめ、他の人々も来て、
賑やかなようだ。
実家へ帰ることが無くなって、フナムシくんとも長いこと会っていない。
壁のクマタカも、もうハゲチョロケになっているだろう。
早池峰山でクマゲラの生息が確認できたら、
となりにクマゲラを描き加える約束だったのだが…


17/nov/2004

仕事仲間たちと、三陸海岸一泊旅行に行ってきた。
新幹線で北上まで行ってバスでグルグル景色のいいところを回って、
旅館では美人だが気の利かないコンパニオンさんたちと大宴会をくりひろげ、
翌日はがっくりくたびれて盛岡から帰ってくるという、
おじさんたちにとっては極めて有意義な旅行であった。
お酒の飲めない身としては、ワリカン負けしないように
高そうな料理と、コンパさんをひとりじめと行きたいところだが
料理はあてがいぶちだし、大学の先輩でやたらもてる人がいて
そっちにみんないっちゃうし、まあ、いつもどうりの展開でしたね。
旅行の楽しみと言えば、風呂と食事と景色だが、今回はさすが三陸、
いずれも満点にちかかったが遺憾ながら鳥が少なかった。
こういう旅行で鳥の話もないもんだと思われようが、
実はけっこうバードウオッチングできるのだ。
出かける前に地図を良く見て、バスの席をどちら側にするかをきめておく。
山側をさけ、遠くまで見通せる谷側をゲットすると良い。
車窓を流れる景色から、鳥の姿を選び出すのは、そう難しくないが
何の種類かあてるのは、あっと言う間に視界から消えてしまうので、
チョー難しい。
それでもゲーム感覚で動体視力を駆使すれば、かなりわかるものだ。
一昨年の九州駆け足旅行では、確実に識別できたものだけで、
39種類をバスの窓から見た。カササギやヤマセミまで見ちゃったもんね。
今回は、たった14種しか出なかった。
同じ11月中旬で、走行距離も大差なく、こんなに差がついたのは何故?
まず、岩手県が北にあるから。普段は目立つ白サギのたぐいを、全く見なかった。
つぎに、天気。初日は小雨だったし、次の日は晴れだったが、帰りに雪にあった。
でも、悔しいけれど、最大の問題は、私の目の老化かも。
識別不明種がいっぱいできてしまった。
ま、いいか。浄土が浜のシノリガモの群れと、
北山崎のハヤブサ夫婦がよかったからね。


2.nov.2004

台風と地震の陰に隠れて、浅間山の噴火と、クマのニュースがあまり見られなくなっている。
クマに怪我をさせられた方々にはお気の毒だったが、くまさんだって大変なんだと思う。
飢えて人里に出てきて,やっとの思いで柿の木に登ったとたんに、ズドン!ではネ。
20代だったある日、一人で、浅間山へ登りに行ったことがある。。
夜行列車で明け方小諸駅に着いて、ひたすら歩いて数時間かけて登るのだが、
あの頃は火山活動が活発で頂上は立ち入り禁止だった。
でも、誰が見ているわけでもないので、へいきで噴火口をのぞきにいったものだ。
浅間には何度か登っているが、その時は麓から途中の浅間山荘まで、
いつも使っていた近道を登らず、車道をあるいてみた。
今ならとてもできない、首から双眼鏡、手には虫取り網という
いでたちで頂上までのぼり、イヌワシや高山蛾と思う存分たわむれた挙句、
火口原の湯の平で雷雲に追われて、浅間山荘までほうほうのていで、かけおりてきた。
おりしも山仕事のオヤジが運搬用のトラクターの荷台に女性ハイカーを山ほど乗せて
麓にむかってなんだか嬉しそうに出発するところだった。
乗るか?とか気のない声をかけられたが,丁重にお断りして彼らの姿を見送っているうち、
いたずら心が湧いてきた。
例の近道を使って先回りして、麓で彼らを出迎えてやろうという訳だ。
破れるといけないので網をしまい、くつひもを締めなおすと、一目散に駆け出した。
最近歩く人が少ないらしく、近道は草に覆われていたが
何とかルートを辿ることができた。途中一箇所幅広く草が踏み倒されて
道の様になっているところがあって、一瞬そちらへ踏み込みかけたが、
ルートとしては変なので迷うことはなかった。
ただその時甘いような変なにおいがしたのが、ちよっと気になった。
首尾よく麓に駆け下りて、御一行をお出迎えして大いに驚かせ
バス待ちの二時間の間に温泉に行く、という彼らをふたたび見送って、小諸へと向かう。
さすがに足がガタガタで、駅の近くまで乗せてやるというトラックにひろってもらったときには、
運転台のおじさんが天使に見えた。
その天使が言うには、
「今朝りんご園にクマが出てミツバチの箱をあらして山へ逃げてった。
どこかで会わなかったか?そうか、会っていたら無事じゃねえもんな。」



1nov2004

翼が4枚ある鳥の先祖が中国で発見されたという。鳥の翼はヒトでいえば手にあたり、
肘から先に硬くて長い風切羽がはえている。足のほうは普通何も生えてないか、
保温のための短い羽毛に覆われているだけだ。
ところがこの動物の足には立派な風切羽状のものが生えているのだそうだ。
おそらく手足をいっぱいに広げて、ムササビのように木から木へ飛び移っていたのだろうと思われる。
鳥が何故翼を持ち、大空をとべるようになったか?という疑問にはいくつかの説があるが
「ムササビ説」は一番説得力があるものの、何だか当たり前すぎて面白味に欠ける。
私が好きなのは何と言っても「虫取り網説」。
走り回って前足で昆虫を捕まえていた小型の恐竜の、手の辺りに長い羽毛がはえてきて、
飛んでいる虫を口のほうに追いやる役目をしていたそうな。
それがだんだん伸びてきてやがて立派なつばさになったんだそうな…というのが、その要旨。
うちわみたいな手を持った、可愛い動物の姿が想像されてずいぶん楽しませていただいたものだ。
でも、今回の化石の発見で「虫取り網説」は、残念ながら風前の灯になってしまった。
足に翼のはえたムササビ恐竜なんて何だかねえ…




3sep2004

善福寺でツマグロヒョウモンを見た。
暖地系の蝶で、西日本には多く見られるが東京にはいなかった種類だ。
それが温暖化による冬の気温の上昇と、野生のスミレから
栽培種のスミレに食草を転化することによって
どんどん分布を東へ北へと広げている。
早い話がパンジーの害虫になってしまったのだ。
親友アセリ君の山梨の別荘に現れたり、
信州松本あたりでパンジー畑を全滅させたりしている噂は
聞いていたので、そろそろかなと思っていたところだ。
クロコノマチョウ・ムラサキツバメと、暖地の蝶がつぎつぎに東上してくる波に乗って、
次はどんな蝶が現れるのだろう。
ツマグロヒョウモンの♀は、ヒョウ柄のオレンジ色の翅の、先だけが黒と白の
けっこう派手な模様をしていて、
カバマダラという別の蝶に擬態していると言われている。
この蝶は体に毒があって食べるとおなかをこわすので、鳥におそわれない。
オレンジと黒の派手な色あわせは、食べてひどい目にあった鳥に
「おいらはまずいぜ」と、信号を送っているのだ。
姿が似ているとその恩恵にあずかれるので、そっくりさんの蝶が何種かいて
、フワフワした飛び方までまねしたりしている。
ただし、カバマダラがいない所では擬態など何の役にも立たない。
派手な姿はかえって目立って、カバマダラ未体験の鳥に
あっさりつかまって食べられてしまうことだろう。
ツマグロヒョウモンの為にも、次はカバマダラ君にご来訪願いたいがいかがなものだろう。



5AUG2004


セミの声をすてちゃんに教えてあげようとして、家族中からひんしゅくをかってしまった。
ちょうど窓の外で、ここらでは珍しいクマゼミが鳴いていたので、鳴きまねをしただけなのに
6種類も鳴きまねをしたのがいけなかったみたいだ。
ドイツには、たぶん大声をだすセミはいないはずなので、すてちゃんが喜ぶと思ったのに。
その昔、ドイツの動物園の偉い人が視察に来たとき、上野動物園の園長さんが、
なにか持って帰りたい動物はないか?と聞いたら、あそこにある珍しい鳴く木が欲しいと
答えたそうな。
鳴いていたのは勿論木じゃなくてセミだった・・・というオチだが、ま、当時の上野動物園には
今と違ってたいした目玉動物がいなかったという事なのだろう。
そのことが頭にあったので、すてちゃんの前でワンマンショウをやるはめになったのだ。
で、セミの声だが、地方によって聞こえ方が違うらしい。
ツクツクホーシ・ツクツクホーシか、オーシツクツク・オーシツクツクか、どちらに聞こえるかは
その人の出身地によって決まっているらしい。子供の頃近所の子供たちはオーシンツクとよんでいた。
クマゼミの声もシュワシュワシュワシュワと聞こえる人と、ワシワシワシワシと聞こえる人がいるという。
もともと殆どクマゼミがいなかった東京地方にも、温暖化の影響で数が増えつつあり
やがて普通種になっていくのだろうが、
江戸っ子達は、はたしてシュワ派になるか、ワシ派になるか,どうでもいいことだが楽しみだ。
私は映画ファンなので、シュワ派かな?。

28 JUL 2004


J先輩が突然旅立たれて2年になる。
アマチュアながら高山蛾の権威であったJさんは、
お元気ならば今頃は、アルプスのお花畑で蛾の採集をしておられるはずだった。
私も学生時代は高山蛾フリークだったので、Jさんには何度も山へ連れて行ってもらったことがある。
普通の装備のほかに、誘蛾灯など採集用具を詰め込んだ巨大なキスリングザックを背負って
もくもくと登り続ける彼を追いかけるのはかなり辛かった。
タマシギおっかあは信じないが、本当に45キロのザックをかついでいたこともあるのだ。
その風貌と心の広さから、後輩たちから「おじさん」と呼ばれていた彼は
重いものを後輩に持たせて、自分が楽をするということを絶対にしないひとだった。
彼と山に行くのは本当に楽しかった
高山帯のお花畑で誘蛾灯の装置をくみたてているときの、ワクワクする気持ちを
おじさんと共有できたことも、幸せだった、
冗談のようなことも含めて、蛾が集まるのを待つ間
いろんなことを教えてもらって、山から下りると利口になったような気がしたものだ。
一人で採集に行って、珍しい蛾を捕まえると、一刻も早くおじさんに見てもらいたくて、
山をかけおりたりした。アサマウスモンヤガとかミヤマチビナミシャクとか
おじさんをニッコリさせた蛾たちは、私の宝物だった。
今思うと、あの頃あんなに夢中で蛾を追いかけていたのは、
おじさんに誉めてもらいたかったからにちがいない。
体力がついていけなくなって、鳥の世界に逃げ出してしまった不肖の弟子の私だが
おじさんは見捨てずに、結婚式の媒酌人もつとめてくださった。
はじめて彼女を引き合わせたとき、ちょっとニッコリしかけたあの顔は
そういえば採集してきた珍しい蛾を見せたときと同じだった様な気がするぞ。



7 JUL 2004

今日は一日中トンボのいる風景の絵を描いていた。
トンボは、好きな生き物の一つで、一時野外識別にこったこともあるので、
けっこう楽しく描かせていただいた。
何といってもあの飛び方がいい。透明な華奢な翅を巧妙に操って
滑るがごとく、空中を突進する姿は自然界でも最も優美なものの一つであろう。
まさに、飛翔昆虫の王者の風格だ。
だが、実はトンボの飛行のメカニズムは、とても原始的で、四枚の翅を前後別々に羽ばたかせるとび方は
古生代石炭紀の森を飛んでいた祖先と、ほとんど変わっていないらしい。
チョウやハチの仲間は前後の翅を一緒に動かすための、連結装置がついているし
ハエ・カの仲間は前翅だけで飛ぶ。後翅は飛ぶ役にはたたないほど小さくなってしまっている。
四枚の翅を前後別々に動かして飛ぶのは、昆虫界では時代遅れのやり方なのだ。
それでもトンボの飛翔は素晴らしく、チョウやハエに劣るところなど微塵も無い。
例えて見れば、洗練された蒸気機関車が、リニアモーターカーを追い越して走るような感じだ。
時代遅れなどと言ってはいけない。トンボはすでに三億年前に時代の最先端を行き、
そのまま現代まで、先頭を突っ走ってきたのだから。
トンボはすごい。早く善福寺池に見に行こう。

2.jul.2004

この夏は、近所中でやたらとウグイスのさえずりが聞こえる。
少なくとも三羽、もしかするとその倍はいるかもしれない。
以前にもウグイスが夏に囀っていたことはあったが、
いつも一羽で、妙に歌がうまくて、篭脱け?と思わせるやつだったので、
今年は様子がちがう。善福寺上池にいるやつは本当にへたくそだ。
この冬はむしろウグイスの越冬個体は少なかった様に思う。
何だかよくわからないがウグイスの個体数が増えて、
繁殖地をこの近所まで広げてきたとは、考えにくい。
本来の繁殖地からさまよい出て高級住宅地・善福寺にやってきたのは何故?
これはなにかある・・・アイツのせいでは?
そう、近頃奥多摩あたりで猛烈に増殖している
ガングロヤマンバ系(古いね)の中国からの侵略軍
あの騒々しいガビチョウのことだ。
ウグイスと同じく山地の茂みを住処とするツグミ大の鳥で
全身こげ茶色、目の周りだけ水色のアイシャドウ、いつも藪の中でほとんどすがたをみせない。
日本には本来居ないチメドリという仲間にぞくする。
中国人はこの鳥のさえずりが好きで、盛んにかご鳥として飼われている。
ちょっとクロツグミに似たような節回しの、なかなか良い声だ。
しかし、わが日本の住宅事情に適合するには、いかんせん声がでかすぎた。
どうも、大量に輸入した小鳥商が在庫をもてあまして、山に捨てちまえということにしたらしい。
それらがウグイスの住処に侵入して、大量に増えたのだ。
体格がだいぶ違うのでどこまで競合しているのかわからないが、
ウグイスにとってはガビチョウの存在は相当なプレッシャーになっていることは間違いない。
難民化したウグイスの一部が、善福寺に流れ着いたとしても
それほど突飛な考えではないではないだろう。
後を追ってにっくきガビチョウがやってきたら困るが、
その心配はないと思う。
私は香港と台湾で野生のガビチョウを見たことがある。
どちらでも深い崖の斜面のやぶに居たから、平地はお好みでないらしい。
もっとも将来ガビチョウよりもっと強力な外来種がやってきたら、
それがガビチョウをおいだして、さらにガビチョウがウグイスを・・・
その時はどうなるか、もう知りません。


29.jun.2004

お久しぶりです。
昔、一緒に昆虫少年をやっていた、小社の顧問会計士の先生アセリ君に
チョウの観察につれてっていただいた。
少年時代には出会うことができなかった、憧れのチョウ達に、体が動くうちに
一種でも多く触れ合いたい、ということで、
年二回ほど仲間と出かけているのだ。
今日は関東地方某所と某所に、クロミドリシジミとオオヒカゲをさがしにいった。
どちらも、かっては山地に住む珍しいチョウだったが、平地や低山地にもいることが
最近知られるようになった。
朝6時に迎えに来てもらい,ちょっとコースを間違えたものの
9時前には現地に着いた。
クロミドリは、明け方の短い間しかとばないので、
その頃には食樹のクヌギの枝先にじっと止まっているはずだ。
長い竿で枝をたたきまくって飛び立ったやつを双眼鏡で確認しようというのだが
飛び出すのはガやスズメバチばかり。一度だけチラッと見かけただけ。
河岸を変えてみても同じことで、あきらめてオオヒカゲの場所へ。
隣の県まで車を飛ばすこと1時間。
池や、釣堀などのある大きな公園に入る。
水辺の林の中を思いがけずすばやく低く飛ぶ大きな褐色のチョウを発見。
同じ科の、やはり大形のジャノメチョウがのんびりフワフワ飛ぶのにくらべると
ずいぶん印象が違う。池の周りのヨシやハンノキが生えてるあたりにも,数多く飛んでいる。
水辺のチョウの様な印象だが,長野県辺りでは高原にすんでいる。
ここの周辺の似たような場所には見られないそうなので
水辺という以外に、条件が色々あるのだろう。
ということは人間にはわからないわずかな環境条件の変化で、
この公園のオオヒカゲは滅びてしまうかもしれないのだ。
そんなことを気にして思い悩むのはチョウの好きな,
言い換えればチョウの採集が好きな人たちだけで
一般人は、地味な、むしろ汚らしいチョウが姿を見せなくなっても何とも思うまい。
昆虫採集反対と息巻く人たちは、チョウの行く末に関心を持つなと
言っているのと同じことだと早く気がついて欲しいと思う。

16.jun.2004

いろいろご心配をおかけしました。元気に働かされています。

10年前に左の耳の奥のできものを大手術の末取ったことがあって
それ以来、疲れがたまると、目を回してひっくり返ってしまうのだ。
お酒を飲んでも同じ現象が起こるので、すっかり人付き合いが
悪くなってしまった気がする。これも後遺症というのだろうか。

今回の個展は、剣道の後輩で骨董品屋の2代目から頼まれて
3週間で準備をして、やっと展示までこぎつけたものだ。
徹夜で新しい絵も何枚か書き加えて、家中をひっくり返して
発掘した昔のイラスト、いわくつきの絵まで持ち出して
何とか壁面を「フクロウ」だけで埋めることができた。やれやれ
「不苦労」というけれど今回は少し苦労した気がする

今回フクロウのことを改めて調べてみたら「首がよく回る」から
商売の神様なのだということもわかった。今回の個展で私の首も
よく回るようにならないものだろうか


30.may.2004

タマシギの絵を描くように言ったのは、彼女だった。
まさか名刺に使われようとは思わなかった。
鳥の事を良く知っている人に渡す時、相手の目に「お気の毒に」とか
「お宅もそうなんだ」とか言う表情が浮かんでいるのが見て取れる。
初めのうちは、嫌だったがもう慣れた。
今では鳥に疎い人に渡すとき、
「コイツはかかあ天下の鳥でして、へへへ」なんて
説明したりしている。
そんな自分にため息をつきつつこの日記を書いてゆこうと思う。

私は古い人間なので、およそ便利な機械と言う物は
指一本で言うことを聞くべきであると思っている。
であるからして,この文章も指一本でタイプしている。
タマシギのかたわれは、気の毒にも10本も一度に使わなければ
タイプできない。その変わり10倍早く打てる。
彼女が10本書き散らかす間に、私は一回分の充実した
文章をご覧に入れることができる勘定だ。
英国に、フランシスと言う著名なミステリ作家がいらっしゃる。
彼は指一本でタイプを打ち、年1冊ずつ大作をお書きになるそうだ。。
きっと機械に対するお考えは私と同じであろう。
タイプした結果が、すこし違うだけだ。
指一本しかつかえなくても恥じ入ることはない。
いや、待てよ。フランシスの作品は全て馬の話だ。
彼自身、昔は騎手で馬は大好きなはずだ。
ヘエと言われるかも知れないが、馬は、指一本で走り回っている。
何だ、彼は馬と同じ事がしたくてわざわざ指一本でタイプしていたんじゃないか。

というタマシギ♂の「遅筆なのは一本指打法」という言い訳でした